出稼ぎ組合の結成 4
旅費を出すと約束したのに半額にされてしまったり、基本単価はなんぼだと約束したところが、実際は200円、300円も違ったり・・・
口約束だけでは証拠にならず、出稼ぎ者がいつも不利になるのですから、私たちは労働契約書を作って、そこに相手方がハンコを押して、いつからいつまで、労働時間、残業、賃金、深夜作業、災害保険、いろいろな旅費なども含めて細かく書いた文章契約をすることにしました。
昭和40年代なかばころまで、市町村自治体でも農協でも出稼ぎの調査や対策を全くやっていませんでした。
さいわい私たちは組合をつくり、一生懸命調査や対策に奔走しておりましたから、問題を比較的的確につかんでおりました。
昭和45年に、私の住む町の出稼ぎ者が5人死んで帰ってきました。
となりの大森町の人という出稼ぎ問題をやっている方がいて、連絡とってみたら、大森町でも5人死んでいることがわかりました。
羽後町、大森町の比率で全県町村に出稼ぎ事故が発生しているとしたらかなりの数にのぼるんではないだろうかと思ったものです。
またその年、ケガをして帰宅して病院通いしている人が、私の村の300何人かの中に14人いました。