出稼ぎ組合の結成 3
東京にくるとまた同じように大工事がいっぱいある。
その当時は地下鉄工事で大体1平方メートルあたり4千万円だったんですが、舗装道路とか地下鉄工事がわんさとある。
秋田ではやらなければならない仕事がいっぱいあるのに予算がなく仕事がない。
だから仕事のある関東・関西に出稼ぎに行くので、出稼ぎ問題の一つは地域格差だと思いました。
出稼ぎはオリンピックまでの一時的なものだぞ、と言われていたわけですが、その年700戸の農家のわが村からの県外出稼ぎ者の数は290人でした。
その次の年になると350人に増えました。
オリンピックが終わった年です。
次から次といろんな問題が出るもんだから、これはひとつ出稼ぎ組合を作って、出稼ぎ者の人権、安全を守らなければならないと考えるようになりました。
そして昭和40年の秋、出稼ぎ組合を村の中につくるわけです。
そこで最初に手がけたのは、一番多い雇用されるときに約束した条件と違うという話です。