出稼ぎ組合の結成 2
もちろん食事なんて一汁一菜で、飯だけは食い放題とあって1人6合平均食べていました。
ですから当時の出稼ぎの多くの人たちは体重が減り、やせて帰ってきていました。
労働条件も悪いし、労働災害、ケガも多発していましたが、百姓土方なんだと軽蔑されていました。
そんな状態ですから何か発生しても運が悪かったと泣き寝入りでした。
雇用者の方はそれは当り前だ、百姓土方なら当たり前だ、ということだったものですから、びっくりして、これは大変だ、現代の残酷物語だ、黙っているわけにはいかない、ということから、出稼ぎ問題に取り組みはじめたわけです。
当初、昭和39年の東京オリンピックの工事が終、われば出稼ぎはなくなる、と当時の経済学者たちが説明しておりました。
私たちもそう思っておりました。
ところがオリンピックの終わった40年になってみたところ、また出稼ぎが増えました。
それでまた出稼ぎ先をまわってみました。
静岡県の出稼ぎ現場を訪問をして気づいたことですが、当時の金で5億円だ、10億円だという大工事がいたるところにあって、沼津からバスで3時間ばかりかかる山村までの間にそういう工事現場が6ケ所もある。