出稼ぎ組合の結成
これは出稼ぎ組合の結成の歴史です。
・・・私たち水田酪嚢は将来の農業に大きな夢を抱いて乳牛を導入し、がんばり続けたわけです。
しかし、その理想を抱いた仲間たちが次々と乳牛を手放して酪農をやめるというのが増えてくるわけです。
この乳牛を手放した人たちは、酪農をやめて他に何をしているだろうかという追跡調査をやってみました。
その結果、ほとんどの人たちが出稼ぎをやっていたんです。
それで出稼ぎとは一体何かということで、昭和37年の正月に東京、神奈川の出稼ぎ現場をまわってみました。
ところが、昭和37年ごろの出稼ぎの飯場というのはびっくりするようなそまつな飯場でした。
まず、風呂はドラムカンで、そのドラムカンに下から火をたいて、10人も20人も重なって次から次へと入る。
布団なんかもせんべい布団一枚だけで、枕なんか全然ない。
丸太とか角棒を作業現場から拾ってきてそれを自分で切断して枕にする。
バラック建てですきま風がビュービュー入ってくる中で暖房は一つもない。
洗面所はないところが多かった。